ゆめゆめ履き違えるな
パラリンピック開会式の評価が高い。
とかく障がい者の参加する作品は「同情点」が加味されて、素直な評価よりも高く見積もりがちである。
しかし、今回は違った。一人一人の障がいの特徴が見事に個性として昇華されていて、同情といった低俗な感情が沸く「隙」がない、何か素晴らしい演劇を観たという感想を持った。
どうやらオエライさん方の興味がオリンピックに向いているのを幸いに、しっかりクリエイターの意向が反映されたとの噂である。
さて、開会式の素晴らしさについてはここまでとして、本当にこの状況で開催するという気が全く理解出来ない。
内容が素晴らしいから許される、寝言は寝て言えである。有事であり一向に改善されないにも関わらず、なんでそこで「感動」フィルターが発動するのか。
オリンピックでメダルが出始めたら「感動」フィルター発動→終了したので賢者タイム、かと思っていたら、
パラ開会式→「感動」フィルター再び発動とは…
おっとその前に、フジロックの「音楽」素晴らしい→憎いのはコロナ、怒りの矛先間違えんなよ(🤣)もあったな〜
とことん、学ばない民衆なのであった。