【全5回】パラが数字を取れるまでの道のり③

パラリンピックを見る際、どうしても障がいによる顔や体つきの特徴に見慣れなさを感じる人は多いと思う。

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これは、金髪碧眼の外国人を見た時に怖がったり嫌がったりする子供の反応に似ている。

大人になっても道で外国人に話しかけられると、どう接していいのか分からずフリーズしてしまうことがあるだろう。

小さい頃から外国人の先生に英語を習わせるなどして、我が子をグローバルな環境に慣れさせることを希望する親が多いというが、障がいを持った人に対して慣れることもまた、子供の頃から日常的に必要なのである。

ただし、障がいのある人の暮らしの中で健常者向けにデザインされた施設で過ごす事は不便であることから小さい頃から暮らす社会が分かれているのが現状だ。

本来であればここにメスを入れて、学校を完全バリアフリーにした上で習得度別のクラスを作るなど、障がいのあるなしに関わらず個人のペースで学べる環境や社会をつくるべきだが、残念ながらそこに到達するには課題が多いと思われる。

その前段階として今できる事の1つとして、普段触れるコンテンツにもっと障がいのある人を登場させることを提案したい。

似て非なるものにポリコレがある。これは人種差別撲滅のために等しくあらゆる人種の人物を出すというもので、時に過剰に演出される事から批判を招いているケースもある。

人種差別は特定の人種が特定の人種を認知した上で劣ったものとみなし、不利益を与えている問題であり、いわば差別する側の社会性の低さを是正することに目的がある。

よって、被差別人種を多く登場させるだけでは、何の解決にもならないと感じる。

一方、障がいのある人たちは「認知」の段階に至っていないことによる不理解が問題であることから、認知の面でもガンガン登場してもらう必要がある。(続