仕事内容を評価したらいい
アイドルが熱愛スクープを撮られると必ず言う
「仲のいい友人関係です」
って、ファンは本当に安心するの🤔?
付き合っていて相手の家に行くアイドルと、付き合ってもいない男の家に行くアイドル。
ファンはどっちが安心するのか。
恋愛してはいけない=処女性
をファンは期待してるのかと思っていたけど、アイドルの定型文として「仲のいい友人」があるということは、
ファンとしては特定の相手ではなく友達になれば自分にもワンチャンある
という状況がよいという事なのか🤔
しかも、ここ数年の場合に限り
「コロナ禍にも関わらず、男友達の家にしょっちゅう行って泊まりがけで飲み食いしてます」
という、アンモラル&ビッチという状況となるが、
ファンのみなさんは本当によろしいか??
そろそろ、「モデル、タレント、歌手、女優、声優」というそもそもの活躍自体を純粋に応援しませんかと思うのであった…
最後の作品かな
リアルタイムでテレビを見たのは、何年振りだっただろうか?
CMの時間は当然、さらに本編も等倍速で見るのも時間のムダに感じているので、ここ数年はひたすらタイムシフトか録画で視聴していた。
でも、見た。面白かった!
CMが入るから没入は出来なかったけど、それでも面白かった。
公開当時、たしか宮崎監督の最後の作品!という触れ込み(ここから始まったか…)だったと思う。
でも自分の中では、やっぱりこれが最後の作品なんだろうなと改めて思った。
自然への畏怖
女性の強かさ
人間の業
これらのメッセージの強さが過去最強で、見ていてははぁ、これは集大成なんだなと再確認した。(監督ご本人はそんな気ないかもですが…)
あと、『もののけ姫』以降って印象的なセリフがない気がする。
言葉の力強さもピークだったのかもしれない。
山の手の内側でアメリカンインディアンを想う
先日、家族が見つけたという山の手内側の土地のみで2億近い物件を散歩がてら見に行ったのである。
その物件はバス通を一歩入った住宅密集地にあり、アドレスのキラキラ度に対して世帯じみたものであった。
「こういう感じで2億もするんだー」
かつて、アメリカの先住民が空や土地は神のものなのに売ったり買ったりするとはどういう事なのだと言ったという逸話があるが、そのことを物件を見ながらしみじみ思い出した。
人間、あまりにも自分と縁の無さそうな物件をみると「買いたい」とか「買えない」とかじゃなく、全然関係のない事を考えるのだなと感慨深く思った。
恐怖のびっくらポン
くら寿司に行った。
「びっくらポンを実施しますか?」
と、聞かれれば条件反射で「はい」を押すのが食前の儀式となっている😊
そして、びっくらポンの打率が下がったことに毎回哀しみを感じるまでがセットである。
5年くらい前までは、3回に1回は必ずあたりが出ていたような気がする…
古来からある理不尽なガチャに「クラス担任」がある。
同じ学校の同じ学年にも関わらず、担任の力量や人間的素質によって1年が決定してしまう恐怖!小学生の頃は2年縛り(携帯かな?)のため、小学生生活の2/3を掛けた恐怖の大王みたいなガチャが発動する。
学習進度は到達度制をテコでも認めず、先に進みたい子もじっくり習得したい子の気持ちも無視する割に、担任の素質については野放しにする(差がつき放題)謎。
子供も減って、テクノロジーも進化している今「前例がない」や「しがらみ」を排除する決断が出来る自治体が出現できるかが大きな課題になりそうだ。
おなかゆるゆるツイートにご注意!
Twitterがサービスを開始して今年で15年だという。
自分自身もガラケー時代に使い始めたので、随分長い間使っている気がする。
140字(日本語)という文字制限がある中で、いかに短い言葉で人を惹きつける文章を書けるか。今までに多くの文才ある人々が発見された。
ただ、大多数のツイート主は普通の人なので当然取るに足りないただの感情の吐け口的な文章が連投されていく。私はこれを💩に似ていると思った。
なかには💩と言うには、あまりにも未消化の物(もはや下痢)も多く、見た人に負の感情を伝染させる。
さらに悪いのはインフルエンサーの下痢で、安易な判断で政治的混乱を引き起こしたり、特定の個人を見えざる集団で攻撃する。
Twitterと似ているものにブログがある。すでにオワコン化しているという意見もあるが、未だに個人の意見を全世界に発信できるツールとして健在である。
ブログの良い点は、意見を発する際にある程度の時間を要することで、投稿前に筆者自身の頭の中を整理したり倫理的に正しいかを確認出来ることだ。
とかくスピーディーであることを求められる現代において、せめて思考こそじっくりと時間をかけて取り組んでいきたいと思う。